上海インタビュー・速報レポート・フォトコンテスト 2012年02月03日
情熱中国 団塊Jr.の挑戦~第1回

農民画を通して人生を学ぶ
受け継がれていくもの

外国人として初めて、
上海市の無形文化遺産(非物質文化遺産)である
「金山農民画」の画師として
認定されたコトータケヒコさん。
彼を惹きつけてやまない農民画の魅力とは、
一体何なのであろうか。

言葉以外の何かを
「中国に来た以上、
言葉以外に自分の中で何かを残したい、
という思いは、
来海した当初から漠然とありましたね」
というコトーさん。
しかし、そういう思いを抱きつつも、
日々の煩雑さに追われ、実現できないでいたのだった。
農民画との出会いはふとしたこと。
仕事の関係でその存在を知り、
週末に市内からバスで1時間半ほどの
金山農民画院まで赴いた。
それをきっかけに縁がつながり、
ついには優秀農民画画師・張美玲、
陸永忠両氏に弟子入りして学ぶことに。
平日5日間働いた後、
週末に村へ通っては、
朝から10数時間ぶっ続けで描き通すという
生活を半年間続け、6作品を完成。
2009年5月には、正式に画師として認定された。

人と人とのつながり
農民画の特徴は、平面的なタッチとカラフルな色彩構成。
基本さえ押さえれば、
わりと個人の自由に描かせてもらえるのも、魅力の1つだ。
そのため、一口に農民画といっても、テイストは様々。
コトーさんは、絵を見れば誰の作品か大体分かるという。
コトーさんの描く農民画はと言うと、
現師匠である陸永忠氏によれば、
「日本の漫画みたい」なのだとか。
一方、描くものは、四季折々の村の風景や干支、
民間行事など、昔ながらの題材が多くを占める。
「村の人たちが描く絵を見ると、
彼らの素朴な人柄がすごく伝わってくるんです。
僕はいわゆる都市人間ですから、
今までそういう世界に触れ合う機会ってあまりなくて。
やっぱりそうやって人から人へ
受け継いでいくものっていいな、って思いましたね。
逆に、新しい物には興味がなくなってきちゃいました(笑)」

膨らんでいく夢
今では、何を見ても絵の題材にできるか
つい考えてしまうという。
実際、絵と仕事以外の時間はほとんどないのだとか。
しかし、コトーさんの顔には、
疲れや苛立ちなどといったものは一切浮かんでいない。
むしろ、自宅で週末に教えている
生徒さんたちとの「日中農民画作品展」の開催や、
絵本作りなど、膨らむ夢にワクワクしている。
「金山は僕にとって第2の故郷。
師匠は、人生の師匠ですね」と笑顔で語るコトーさん。
人生の歩みとともに、今後どう変化していくのか。
コトーさんの描く農民画の世界から、
これからも目が離せない。

~上海ジャピオン02月03日号

上海インタビュー・速報レポート・フォトコンテスト 2011年12月30日
情熱中国 団塊Jr.の挑戦~第1回

日本人アーティストの、
中国進出へのゲートウェイ作りを

中国進出を夢見る日本のアーティストと
中国のファンとの間で、
黒子として頑張る本多真一郎さん。
上海随一のライブハウス「マオライブハウス」で、
日々音楽に携わる本多さんの挑戦とは――?

感動空間を創り上げる
「2002年に上海へ旅行で来た際に、
自分はここで働いているような気がした」
そう話を切り出した、本多さん。
日本人アーティストの中国進出へのゲートウェイ作りに、
07年から上海でコンサートプロモーターとして活躍する。
日本と違った文化習慣に加え、
法律や機材、予算などの関係で
アーティストのやりたいことが出来ないもどかしさ…。
幾度も困難にブチあたったというが、
「制限がある中で折り合いをつけてライブを行い、
アーティストのメッセージが観客に伝わって、
お金では測れない感動と喜びを味わう空間を創れた時、
やって本当に良かったと思います」と、
ついさっきライブイベントを終えたかのように
熱く語る様子からは、
〝諦め〟という弱気は微塵も感じられない。

MONGOL800の公演では、
熱狂的なファンがMAO Livehouseに大集合

舞台は国際都市・上海
本多さんが、
中国で日本の音楽のために一肌脱ごうと思ったのは、
音楽専門学校の先生をしていた時だ。
07年当時、日本の音楽市場は飽和状態。
日本の音楽を海外に広めることで、
日本音楽市場の拡大につながり、
音楽産業に還元できるのではないかと考えたという。
MBAを取得し、歳も区切りの30。
自力でやるなら今と、
その海外進出のゲートウェイ作り先として中国を選ぶ。
同じアジアで共感が得やすい。
そして、高校時代に漢文が割と好きだったことが
中国を選んだ理由だ。
群を抜く国際性と古き良き英仏の雰囲気を残す上海で、
挑戦を始めた。
通貨格差や法律など様々な面で、
中国での興行がペイしない可能性――
この厳しい現実を前に、多くの人から
「なぜ学校の先生という安定した職を
捨ててまで中国に行くんだ」と言われたという。
不安と共に始まった挑戦だったが、
不確定要素の高い状況の中で
やる仕事は挑戦し挑戦しがいがあり、
どんどん魅力を感じ、情熱が湧いてくるのだった。

夢のキーワードは〝つなぐ〟
「これまで色んな先輩と一緒に、
音楽の〝畑〟を耕して困難を取り除き、
やっと日本と同じような受け入れ体制ができてきました。
今後も日本のアーティストと中国のファンを繋ぎ、
音楽特有の感動をたくさん届ける――
私の人生は、その手助け一本にかけてます」
と力強く語る本多さん。
「やれるとこまで突っ走り、
最後はクラシックコンサートホールの
掃除のおじちゃんか何かで余生を送りたい(笑)」と、
最後に冗談めかす本多さんの挑戦はこれからも続く!

 ~上海ジャピオン12月30日号

上海インタビュー・速報レポート・フォトコンテスト 2010年06月25日
インタビュー 盛虹明(もりこうめい)

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医学博士
盛虹明(もりこうめい)

日本で培ったノウハウを中国へ
いつまでも美しくいる秘訣は恋

日本で16年間培った、美容・形成外科の技術を母国である中国に持ち帰り、
上海で開業している盛虹明さん。
日本と上海で医師とて活躍する先生の目に映る上海とは――?

――先生が上海に戻ってこられたのは、2004年だと思いますが、
日本に行かれる前の上海と比べてどうでしたか?

 そうですね。至る所に高層ビルが建っていて、日本の都会と変わらない風景にまず驚きました。
それと、街の発展に伴って、上海人の美への探究心も強くなってきたように思います。
結婚しても働くというのが中国人の女性ですが、
近年では、収入の3分の2を自分磨きのために使っている人も多いようです。
コスメも昔は質よりも安さが求められていましたが、ここ数年は、安さよりも質。
経済力もついてきたことから、海外の有名ブランドコスメを使う人も増えていますね。

――化粧品の動向にもお詳しいんですね。
では、先生が美容・形成医師になろうと思ったきっかけはなんでしょう?

 実は幼い頃、事故で身体にやけどを負ったんです。
やけどの跡は、なかなか消えず、それがコンプレックスになりました。
担当医は、やけどの治療はしてくれましたが、心のケアはしてくれなかったんですね。
その時に、心のケアもできる医師になりたいと思ったのがきっかけです。

――それで、南京医科大学を卒業後、日本へ美容・形成を学びに行かれたわけですが、
色んな壁にぶつかられたことだと思います。
忘れられないエピソードはありますか?

 美容・形成病院で死に物狂いで働いていた時のことですね。
というのも、そこの院長は、私が外国人だからといって特別扱いは一切しない人でした。
日本語力の問題で怒鳴られることは日常茶飯事で、術前資料を作成するのに明け方まで残っていることも多く、
終電に間に合わないのが当たり前でした。
その時は、人の5倍努力していましたね。

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――では、どうして日本ではなく上海で開業しようと思われたのでしょう?

 当時、中国の美容・形成の技術はまだまだでした。
手術を受けたい人は、海外に行くのが普通。
でも、言葉が通じず、納得のいく手術が受けられないという中国人が多かったんです。
だから、日本で培った技術を中国に持ち帰り、母国に貢献するのも良いと思い帰国しました。

――それで上海で開業されているわけですが、中国人と日本人の患者さんで違いなどありますか?

 1番は、「日本人はとりあえず様子を見る。
中国人はとりあえずやってみる」ですね。
エステなどでじっくり施術するより、1発で治す手術に踏み切るのは、圧倒的に中国人の方が多いです。

――なるほど。最後に、女性がいつまでも美しくいるための秘訣を教えてください。

 ずばり「恋」をすることです。
恋をすると、キレイになるためのアドレナリンが多く分泌されるんです。
実はこれ、エステをするより整形手術をするより効果的なんですよ(笑)。

~上海ジャピオン6月25日号より

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